ぽむんすた、SEO会社をやめたってさ

ぽむんすた、SEO会社をやめたってさ

まあかれこれ5、6年前の話だけどね笑 どーも、ぽむんすたです!

あっという間にもう2019年。平成最後なんてゆーてますけども。皆さんは年も明けた今日この頃何をして過ごしているんでしょうか。

僕は、年始に中学校の同窓会に初めて出席して、約17年ぶりくらいに友達に会って、しかも久しぶりに家族や仕事の人以外に会ったもんで(泣)ものすごくはしゃいでいる自分がいて少し驚きました。笑

そんなこんなで昔話をしていたら自分の人生を振り返る機会にもふとなったので、今回はこのブログを書いている僕、ぽむんすたについてお話ししたいと思います。

ちょいとばかし真面目な感じに話しますけど、読んでもらえたら嬉しいなと思います!

それでは、どーぞ!

就活の時の話からいきます

日本の全大学の中で、ちょーど真ん中からちょい下くらいの学力の4年制大学をきちんと卒業した僕(ぽむんすた)は、

大してバイトもしてなかったので、生まれた初めて社会という荒波に揉まれようとしていた。(バイトしろ)

はじめの頃はなぜかわからないものの、”投資用マンションの販売”というわかりやすいブラック業界(個人的見解)に目標を定め、数回の面接を終えいくつかの内定をもらっていた。

内定者を集めたBBQのようなものにも誘われ、「これで就活も終わりかー。」なんてふわふわした気持ちでいた。

その帰り道。

 

「ねーねー、ここ以外にも行きたいとこあるんでしょ?」と、仲良くなった背の高い男子学生に声をかけられた。

「あ、んー。ま、まあね!そっちはどうなの?」と、いかにも自然な返し(演技力0)をすると、彼は自信満々で

「まーとりあえず来てみたけど、ほんとは別のとこ行きたいんだよねー。まだ内定は出てないんだけどね」と話してくれた。

「へ、へーえ!そ、そうなんだ! そうだよね!まだまだ時間あるしね!」

なんて適当に返しながら、本当に自分は今のまま就職してもいいのだろうかと思っていた。

残っていた選考

実はその頃投資用マンション業界だけでなく、ネット広告の代理店として中堅の会社の選考も進んでいた。

これもなんとなく「これからはなんとなくネットの時代かなあ」ということで、SEOやリスティング広告、アフィリエイト広告などネット広告の総合代理店を選んでいたのだ。

まあなんやかんやあったのだが、結局就活は少しだけ伸ばすことにして、その会社を受けたのだった。(投資用マンションの採用担当の方、ごめんなさい)

 

面接はトントン拍子で進んでいった。なぜこの会社に決めたのかと言われると恥ずかしいのだが、、実は採用担当のお姉さんがとても可愛かったのだ。笑

それまでほとんどの採用担当がおじさんかおっさんだったことを考えれば(失礼)、このギャップはすごかった。

ちなみに真面目な理由を書くとすれば、面接にその会社を訪れ椅子に座って待っていると、社員さんが全員自分に「こんにちは!」と挨拶してくれたのが一番大きかったかもしれない。

きっと社員の皆さんは、着慣れないスーツに結び慣れないネクタイをした自分を、「あ、面接に来た学生だな」というのはわかっていたはずである。

さらにいえば、採用担当が「この期間は採用期間なので、学生にきちんと挨拶をお願いします!」などと言っていたのであろうこともわかる。

それでも、自分の前を通る社員さんは全員が自分に挨拶してくれた。

そんな理由で?と思われるかもしれないが、今思えばほとんどの部分そう言ったフィーリングで決めていた。

そして働いている社員さんもみんなかっこよく見えていた。若い人ばかりだったのも風通しが良さそうだ、とも思ったりして。

緊張して実際の面接は覚えていないけれど、結果としてなんとか内定をいただくことができて、無事入社させてもらった。

田舎者の憧れ、渋谷

東北の片田舎に住んでいた自分にとって、渋谷で働くなんてのは夢のような話だった。それも、渋谷駅から徒歩5分という場所で働けたのは、自分的に最高にシャレオツな感じがした。

働き始めは遅刻したり、会社の人に色々と教えていただきながら、様々な面で迷惑をかけながら少しずつ学んでいった。

そういえば説明が遅れたが、自分が勤めた会社は基本的には「SEO会社」だった。ブログを少しでもかじっている人であればわかると思うが、

SEO=Googleに自分のサイトを「いいサイトだ」と認めてもらうためのテクニック

だと思ってもらって大方は問題ないと思う。(正確には少しニュアンスが違うが)

例えば消費者がGoogleで「中古車」とする場合、その消費者は間違いなく「中古車」に興味があると考えられる。

つまり「中古車」と検索された際に、1番上に自社のサイトを表示させることができれば、顧客になる可能性が高い人にアピールをすることができる、ということだ。

そのころの僕の会社はそのための技術を保有している、その分野ではなかなか名を知られていたいわゆる中堅どころであった。

では顧客はどうやって集めていったのかといえば、それは鬼の「テレアポ」であった。

1日100件程度のリスト作成から実際のコールまでを、半年から1年間は毎日毎日繰り返した。

「御社の広報担当者の方はいらっしゃいますでしょうか」ということの言葉を、何度言ったかわからない。

100件かけて、実際にアポをいただけるのが2−3件、実際にアポに行けるのは1件と言ったところだった。

「いま席を外しておりまして、、」というお決まりのお言葉をいただくのはまだいい方で、「お前、次かけてきたら通報するぞ」とか、「二度とかけてくんな!!」という暖かいお言葉?をいただくことも珍しくなかった。

そんなこんながありながら、10人ほどいた同期みんなで励まし合いながらなんとか乗り切った。

アナザーミッション

会社で働くとともに、自分自身の夢も実現させようともがいていた。

実は大学時代からダンス(ストリートダンス)を始めていたぽむんすたは、その”好き”の気持ちの高まりからさらには派生して歌にも興味を持ち、ダンスと並行してボイトレにも行き始めていたのだった。

するとひょんなところから、今や超有名な女性アーティストの名曲を制作していたノリに乗っているプロデューサーのオーディションの話をいただき、

受けてみたらこれがまた不思議なことに「合格」をいただいてしまった。(リアルに僕の年代の人ならほとんどの人が聞いたことのある、”あの曲”を作った人です。言わないけど笑)

実はこのSEO会社に入社する前にはその「合格」をいただいていたので、正直歌に進むか仕事を取るか少しの間迷っていた。そんな時そのプロデューサーに相談したところ、

「仕事しようがしなかろうが、やる奴はやるしやらない奴はやらないんだから、好きにしていいと思うよ」

というめちゃくちゃありがたいお言葉をいただき、贅沢にも2束のわらじを履く決意を固め、会社に入社していたのだった。

ちなみにこの時憧れていたのが、Justin TimberlakeやUsherなどの、いわゆる「歌って踊れるアーティスト」というものだった。

追いつけない背中

さて、そんなこんなで意外に充実した日々を送っていたぽむんすただったが、気づけば2年ほどが過ぎようとしていた。そんな中、徐々に同期の中にライバルと呼べる男を見つけた。

そいつは人当たりはよく楽しく話せるが、仕事になると寡黙に淡々と自分の仕事をこなすいわゆる「デキる奴」であった。

顧客の情報をリスト化したり、即レスやタイピング速度の向上、自分が仕事をしやすいように顧客と信頼関係を築いたり、なんというか常に効率化を考え、作業に対する効果の最大化までを意識できるような。

とにかく自分なんかよりも1枚も2枚も上手な、尊敬できる社会人だった。(これは今でもだけどね)

それでも不思議と「嫉妬」の気持ちは1ミリたりとも生まれてはこなかった。彼がそれだけの努力とセンスがあるのがわかっていたからだ。

と同時に、間違いなく「こいつにはきっと一生この仕事では勝てない」と思っていた。

なぜかというと、彼がその仕事を「楽しんでいる」ことがひしひしと感じられたからだった。であるからこそ、彼はイキイキとしていたように思うし、結果を出していたんだろうと思う。そして気がつけば、彼は遥か年上の上司からも一目置かれる存在になっていった。

ちなみに現在は当時の同期の中で、唯一彼とだけ連絡を取り合っている笑(色々あってね)

今では彼が背中すら見えないほどに前を走っていることに気づいて愕然とするわけだが笑、彼としては全く偉そうなそぶりは見せないし、昔よりも「とことんデキて、とことんかっこいい奴」にさらに進化していた。

彼についてはまたなんか別の記事で話したいと思う。本当に勉強になる存在だし、勝手にライバルと思っている。そして数少ない親友とも。

話を戻すが、その頃の彼が働く姿や、どんどん上に上がっていく姿を見て、当時「自分はこのままでいいのか」、「本当はどうなりたいんだ」という気持ちが自分の心の中で膨らんできて、少しずつ少しずつ焦っていったのだった。

終わりの始まり

働き始めてから3年、4年。だんだんと仕事も一人で任されるようになり、様々な仕事を経験していた。テレアポはもうしなくても良いほど顧客をかかえ、毎日朝から終電まで働きづめ。

それでも少しでも早く帰れれば、家に帰るまで住まい近くのカラオケに入ってボイトレをみっちりする。

ダンスの発表会があると聞けば、終電まで仕事をした後スクールに入って明け方まで練習。朝は会社に直行と嘘をついて一旦帰宅&仮眠をとり出社。

ライブが近づけば1回5,000円のボイトレに、会社に「既存顧客との定例打ち合わせ」と称して行ったり。。(サボってごめんなさい苦笑)今思えばほとんど休む暇なく毎日を過ごしていたように思う。

その頃の自分は「夢を追うためには多少の無理は仕方ない」と考え、そんな生活をしている自分をかっこいいとさえ思っていた。

「俺はお前たちとは違う世界の人間だ」とまではいかないが、それに近しい気持ちで同僚を見つめ、会社にも本腰を入れることなく、ふわふわと働いている日々だった。

しかし朝から晩まで限界になる程、体力的・精神的に追い込んでいた自分の心は、自分が気づかないところで確実にすり減っていた。

でもその頃の自分にはそれが気づけなかった。いや、気づかないように目を背けていただけかもしれないが。

そんなこんなで、終わりの日は自分の背後にじわじわと、確実ににじり寄ってきていたのだった。

終わりの時

SEO会社に限らず、IT業界の人材の移り変わりはそのほかの業界に比べてものすごく早い(らしい)。理由は激務だからという言葉に尽きると思う。

SEO会社はSEOだけでなく、リスティング広告の運用代行も手がけていることが多い。御多分に洩れず自分が務めていた会社もリスティング広告の運用代行を業務の一つにしていた。

実は自分たちが売るべき商材であったSEOもリスティングも、受注すればするほど自分の首を締めることになる悪魔の側面を持っていた。

まずはSEO。Googleが公表しているガイドラインなどを参考に、Googleに高い評価を受けるサイトを作り上げるためのこの技術で、勤めていた会社はある程度成功を収めていた。しかし、ここで忘れてはいけないのは、「全てはGoogle様次第」ということだ。

ペンギン、パンダアップデートなど、ふざけた名前の地獄をなんども投入してくる。

このアップデートとは、要するにGoogleのサイト評価基準の変更のことで、それまで1位だったとしても、そのアップデートが適用された瞬間に順位が一気に乱高下する。これによって損害を被ったクライアントたちに、一斉に怒鳴られる羽目になる。

しかもSEOで順位が上昇して売り上げが急上昇すると、クライアントには盛大に褒められるが、アップデートで順位が下落すると、その分盛大に怒鳴られるという罠もある苦笑

次にリスティング広告だ。これは対クライアントとの話ではなく、社内リソースの問題が大きい。

そもそもリスティング広告の運用代行をする会社には、リスティングの運用のみを行う運用担当者なるものがいる。

しかし受注数が増えれば増えるほど彼らが対応できるアカウントの数は少なくなり、そのうち0になる。その場合誰が運用を行うのか。

察しの良い方ならお気づきであろう。運用担当ではない僕のようなただの一営業マンが、運用までを担当することになるのだ。

そもそも営業マンは忙しい。顧客を抱えながら新しいアポを取り提案し、受注後には既存顧客対応というループを延々と繰り返している。

その中でリスティングの運用代行まで行うともなれば、もはやキャパオーバーとなるであろうことは簡単に予想がつくだろうと思う。

そんな理由があったために、どうしてもSEO・リスティングの受注に対しては二の足を踏むことになってしまったのだった。

そんな風にしている間に、歌やダンスに対する情熱も薄れてきていた。

正確に言えば情熱はあるものの、日々の激務と疲労の中でもう一つの自分の夢を追うことが、体力的・精神的にきつくなってきてしまっていたのだった。

NYに行きたい

気づけばすでに入社から4年半が経過しており、気づいたら入社当時の社員は半分が入れ替わり、同期10人のうち8人が退社していた頃だった。

そんな時にふと思いついたのが、「会社を辞めてNYで新しい”何か”を見つけよう」という、いかにもふわふわした若者的な発想だった。笑

4年半経って初めて、自分のエナジータンクを確認してみた。

すると真っ赤な警告ランプが点いていたことに気づいた。気づかないうちに自分のエネルギーは空っぽになっていた。

最後のエネルギーを使って逃げ出してしまえ、とはその時は思ってもいなかったが、きっと自分は無意識にこの環境から逃げるためにそんな選択肢を考えていたんじゃないかと今では思う。

思いついたら早いもので、すぐに部長にこの話を持っていった。「会社を退職したい。そしてすぐにNYに行きたい。」

ありがたいことに部長からは引き止めのお言葉をいただいた。さらには「自分の知り合いにも退職してすぐ海外に旅に出たやつがいる」、「結局帰国してからも何もせずブラブラしてるだけだ」「後悔しないのか?」とも。

それでも、エネルギー切れを起こしかけるほど消耗しきっていた自分には、そんな風に冷静に考える余裕もなく、結果的に退職させてもらった。

初めて勤めた会社への感謝

2019年の今、振り返ってみれば新卒で入社させてもらってから、トータルで4年半。振り返ればあっという間に過ぎていったように思う。

確かに業務内容自体は、ものすごく精神的にきついものが多かったけど、救われたのはとにかく社内の人、同僚、上司含めて、本当に本当にいい人ばかりだったことだ。

尊敬できる先輩もいれば、憧れの上司もいて、可愛げのある後輩たちにも恵まれ、心強いバックオフィスの人もいた。本当にこの人たちがいなければ、もっと早く退職してしまっていただろうと思う。

これも後で話すが、退職後に結構鬱になってしまったため笑、一時期ほとんどの人と距離を置くという厨二行動を取ってしまい、今ではあまり会う機会も話す機会もないが・・・

いつか自分に自信を取り戻せる日が来たら、また一緒に飲んでみたいなあなんて思ってもいる。

とにかく、本当に今でも感謝しているいい人たちばかりだった。思い出すと少し切なくなるくらいに。

新しい”何か”を探す旅

行き先はNY、泊まる場所はAirbnbということだけを決め、なぜか頭も金髪に染め笑 希望と不安がないまぜの状態で空港に向かう。

新しい”何か”が見つかればいいなあなんて考えながら。

続く。。。かもしれない。

シーユー!